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岡山地方裁判所 昭和60年(行ウ)11号 判決

原告

水江吉孝

右訴訟代理人弁護士

大石和昭

被告

倉敷労働基準監督署長小西豊

右訴訟代理人弁護士

片山邦宏

右指定代理人

北村勲

小坂田英一

黒住嘉昭

笹野時男

石部弘子

小林康宏

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、昭和五七年一月二二日付をもって原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四九年一月二二日に、訴外川崎製鉄株式会社(以下「訴外会社」という。)に入社し、以後同社水島製鉄所に勤務してきた。

2  原告は、昭和五六年七月二九日午後三時すぎころ、右製鉄所第一工厚板工場DEヤードNo.2ガス場架台上においてスクラップの整理作業中、表示組立用机(鉄製)をガス切断し、その切り板(約二〇キログラムの鉄板)を弾みをつけて左横に放り投げようとした際、これを仕切台に激突させ(以下「本件災害」という。)、その衝撃によって腰部を負傷(以下「本件負傷」という。)した。

原告は、本件負傷によって、急に立ったり、しゃがんだりすることができないようになり、また、腰部の激痛により、腰部を二〇度程曲げて行動することも不可能となった。

3  原告は、昭和五六年八月一日、水島協同病院において腰椎々間内障と診断され、治療を受けた。

4  原告は、昭和五六年一一月二四日、被告に対し、本件負傷につき療養補償給付の請求を行なった。

しかし、被告は、原告の疾病は業務上の事由によるものとは認められないとして、昭和五七年一月二二日付で、これを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を行なった。

そこで、原告は、本件処分を不服として、岡山労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に審査請求をしたが、審査官は、昭和五八年三月一〇日付で、これを棄却するとの決定を行なった。

原告は、更に、労働保険審査会(以下「審査会」という。)に再審査請求をしたが、審査会も、昭和六〇年五月二八日付で、これを棄却し、右裁決書謄本は同年七月五日原告に送付された。

5  しかし、原告の疾病は、労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条、同規則別表第一の二第一号の「業務上の負傷に起因する疾病」に該当し、原告には労働者災害補償保険法一二条の八の療養補償給付の受給資格があるから、本件処分は違法である。

6  よって、原告は、被告に対し、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、3及び4の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

3  同5の事実は争う。

三  被告の主張

1  本件負傷の存在を裏付けるものとしては、原告の供述があるのみで、それを目撃した者は一人もおらず、しかも、以下の諸点に鑑みると、原告の右供述は信用できない。

(一) 原告は、同人が主張する本件災害時から約三か月後の一〇月下旬に職場の上司である上野孝雄班長(以下「上野」という。)に申し出るまで、本件災害について、職場関係者のだれにも何も語っていない。

(二) 原告は、被告に療養補償給付の請求をしたとき及び審査官に対する審査請求の前半では、本件災害の発生時間を午後二時三〇分ごろと述べていた。

しかし、その時間には、原告の作業現場の約一〇メートル離れた場所で他の従業員が常時就労していたし、午後三時ころには、交替勤務のために後の班や前の班の従業員が現場のすぐ横の安全通路を通ったので、受傷した原告を容易に発見できたはずであり、原告も玉掛用合図の笛を持っていたのだから、容易に助けを求められたはずであったが、だれも受傷した原告を見かけず、原告も介助を求めていない。

その後、原告は、審査官に対する審査請求の後半及び審査会に対する再審査請求並びに本件請求においては、本件災害の発生時間を午後三時より後であると述べ、右発生時間につき、その供述内容を変更している。

(三) 原告は、本件災害のあったとする当日の午後四時二〇分ころから約三〇分間、班長室で永吉稔総作業長代行(以下「永吉」という。)、上野及び石田憲一班長と話し合っているが、その際、本件負傷については一切語っておらず、吉永らも本件負傷には全く気付かなかった。

(四) 原告は、右のとおり永吉作業長らと話し合った後、自ら自動車を運転して帰宅した。そして、翌々日まで医師にはかからず、三日後の八月一日になって初めて水島協同病院の安東医師の診察を受けたが、後記3のとおり従前から腰部の疾病による治療、療養を行い、同医師にもたびたび受診していた経過があったにもかかわらず、本件災害の事実を全く告げなかった。そのため、同医師は、既往の腰痛が自然に発症したものと考え、腰椎々間内障と診断した。

2  仮に、原告が主張するように、鉄板を仕切台に激突させたという事故があったとしても、その重量は二〇キログラム程度であり、必ずしも腰部に負担のかかるほどの重量ではないから、通常人の場合はそれによって腰部を損傷するとは考えられない。したがって、右事故と原告主張の疾病との間には相当因果関係が存在しない。

3  原告は、昭和五二年一月二〇日に、ソフトボールを行なってバットを空振りした際に腰を痛め、前記安東医師から右腰部捻挫の診断を受け、入院、外来の治療を繰り返しながら同年六月まで休職した。復職してからも定期的に訴外会社産業医の診察を受け、その際腰部の不調を訴えるなどしたため、昭和五三年四月まで作業内容等の制限を受けた。その後も、同五五年八、九月ころ腰痛の治療を受けたほか、同五六年一月にやはり腰痛を訴えて腰椎々間板症と診断され、同年二月二日から一九日にかけて入院治療を受け、同年一月一八日以降同年二月二二日まで休職し、復職後も腰痛を訴えるなどして、昭和五六年七月二九日(以下「本件当日」という。)に至るまで前記産業医から作業内容等につき制限を加えられた状態で就業していた。

このように、原告には腰痛の既往症があり、原告が主張する本件腰部の疾病は、既往の腰痛が自然の経過で発症したものと見るべきである。

四  被告の主張3に対する反論

1  原告の腰部の既往の状態は以下のとおりであるから、原告の腰痛は、本件災害によって発生したものであって、既往の腰痛が自然の経過で発症したものではない。

(一) 原告は、腰痛症の既往症を有していたが、日常業務には全く差し支えるわけではなく、通常の業務、生活を行なってきた。

原告は、産業医の診断書を会社に提出していたが、これは、永吉に強制されて提出してきたものであり、腰痛があったために診断をうけたのではなく、就業制限の手続きのためその命令に従って診断書の作成を産業医に申し向け作成したものである。

(二) 原告は、交替勤務不可の産業医の診断書が発行された状態においても、交替勤務の応援で働いていたし、自宅から自転車で片道三〇分ほどの距離を通常の人と同様に通勤し、かつ、毎日ジョギングを続けていた。

(三) 原告は、昭和五六年四月ころは厚板で交替勤務で働いていたものであるし、同年七月ころ、健康状態のチェックをした際にも異常は全くなかった。また、本件受傷前まで、魚釣りをしたり、大山までドライブに行くなど、全く腰痛の症状をもつことなく、通常人と同様の生活をしてきた。

(四) 以上のように、診断書は、上司の指示で就業制限を要求されたとき、産業医に申し出て作成してもらったものであり、原告の実際の腰痛症状とは関係なく作成されたものであるから、これをもって原告に腰痛が存在したと推論することはできない。

2  原告の脊椎は、構造上椎間板等に弱点があるわけではないから、構造上の異常から現行の腰痛が発生していると考えることはできない。腰痛発症の直接的原因は、中腰で物をさげたという契機によるとみるべきである。

第三証拠関係

証拠関係は、本件記録中の各書証目録及び証人等目録記載のとおりであるので、これを引用する(略)。

理由

一  請求原因1、3、4については当事者間に争いがない。

二  請求原因2について

原告は、請求原因2のとおり本件災害及び負傷の発生を主張し、いずれも成立に争いのない(証拠略)並びに原告本人尋問の結果によれば、本件災害発生時及びその後の具体的状況につき原告が述べるところは、請求原因2のとおりのほか、概略次のとおりであることが認められる。すなわち、原告は、本件当日、一人で、スクラップの整理作業をしていて、二〇キログラムくらいの鉄製板を仕切台の向う側(原告の左側)に放り投げようとした際、作業現場の架台の床が老朽化してすべりやすくなっていたため左足をすべらせて、右鉄製板を仕切台に激突させた。その衝撃で、息の止まるほどの激痛を腰に感じ、身動きが不能となり、一〇分ないし三〇分の間、その場にしゃがみこんでいるほかなかったし、その後に七〇〇メートルほど離れた更衣室に歩いて行くのにも、ほうきを杖代わりにして腰を曲げながら、小休止をしつつ約四〇分もかけて行かざるをえなかった、というのである。

しかしながら、(証拠略)その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき(証拠・人証略)によれば、被告の主張1(一)ないし(四)の各事実を認めることができる。これらの事実に照すと、本件災害の発生状況、負傷の程度等につき原告が説明し、述べるところは極めて不自然であり、到底これを措信することはできない。なお、原告は、右(一)及び(四)の事実につき、直ちに本件災害を報告しなかったのは、当時訴外会社では従業員が一丸となって二〇〇〇万時間無災害記録達成に努めていたので言い出せる状況になかったからであり、特に、永吉は、上司の立場で右運動の推進に熱心に努めており、当日同人に会った際にも原告が腰痛のことを言い出さないように脅迫的に怒鳴りつけてきたので、これを言えなかったのである旨供述するが、原告の供述する本件負傷の程度や原告の安東医師に対する受診歴等を考慮すると、右事由をもって、訴外会社にも、また安東医師にも本件災害のことを告げなかったとは考えられず、右供述を採用することはできない。

そして、他に、本件災害及び負傷の発生を認めるに足りる証拠はない。

三  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することにし、訴訟費用につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 梶本俊明 裁判官 岩谷憲一 裁判官 登石郁朗)

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